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大阪府柏原市は、ナガサワレーシングサイクル。日本自転車界が世界に誇るフレームビルダー長沢義明氏の工房を訪ねた。
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かつて、メカニックとしてヨーロッパに渡り、自転車の魅力を感じるままに華やかなイタリアンロードレーサーのフレームビルダーとして修行。当時のエディメルクスが駆っていたデ・ローザもそのひとつ。
何故フレームビルダーの道を目指したのか?と聞けば、一言「メカニックじゃ食べられない」と長沢氏は答える。
しかしながら、その一言には奥の深さを感じずにはいられない。
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何故フレームビルダーの道を目指したのか?と聞けば、一言「メカニックじゃ食べられない」と長沢氏は答える。
しかしながら、その一言には奥の深さを感じずにはいられない。
その後、1976年に日本へ。世界選手権で、かの中野浩一選手が、10年連続優勝を果たしたことはあまりにも有名な話だが、そのフレームはすべてがナガサワモデル。世界のナガサワ誕生はこのときである。一つ一つのパイプ選びから、溶接に至るまで、まさに芸術そのものの仕上がりは、本能のみが知る神業とまで。そして、今も「すべてのナガサワは自分の手で」と、ナガサワモデルの一台一台には、名匠長沢義明氏のこだわりが生き続けている。
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| ▲なんて、いい感じなんですか |
今回、長沢氏の工房を気安く紹介できたのは、実を言えば天野会員の協力があってのこと。ご存じのとおり、天野会員は少し前まで現役の競輪選手。もちろん勝利のためには、ナガサワモデル。そして、長年のつき合いの中からは、自転車、フレームの何ぞやを長沢氏から教わったと言う。ほんとうは、自転車を通して人生とは何ぞやを教わっているように見えたのだが。
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▲あらゆるツールを積載した車内 |
ところで、工房横の空き地に大きなコンテナ付きのトラック。ツアー・オブ・ジャパンと書かれた走る工房である。中にはあらゆる工具はもちろんのこと、パーツ類。測定器等々。機械いじりの好きな私にとっては宝石を満載したトラックに見えた。ツアー・オブ・ジャパンを陰で支える長沢氏ご自慢のものとか。年に数回使用するがための装備と言うが、こんな贅沢なこだわりがあってもいいんですね。
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「名匠長沢」ということが先走りどんな人かと想像もした。実際に会っての感想を述べれば、自分の常識に対して常に問いかけながら改善し、さらなる進化を求める今は少ない職人に見えた。
そして、仕事を放れた長沢氏からは、自転車好きの親父と呼ぶのが一番ふさわしく思えた。
ただし、親父は親父でも、日本の親父だ。
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